小説・現代

2008年5月20日 (火)

月夜

空を見上げると、黄金色に輝く月が静かに佇んでいる。

昼間は夏のように暑かったのに、今の風は風呂上りの体に気持ちがいい。

「夜風は体に毒だぞ」

部屋の中からかけられた声に、思わず肩が下がった。

「その毒風に和んでるんだ」

振り返ると、勝手知ったる他人の家のシャワーを無断拝借した友人が、缶ビールを2本持ってこちらにやってくる。

「おまえ‥‥たまには湯船につからないと、疲れが取れないぞ」

自分が風呂場から出て、まだ10分と経っていない。この友人は知り合ってから一度も湯船に入ったことがなく、雪が積もるほど寒い真冬でも、シャワーで済ませてしまうつわものなのだ。

そのつど湯船につかるように促すのだが、

「皮膚呼吸ができなくて苦しい」

と意味不明な理由を語り、反湯船を貫いている。

今回もその例にもれず、

「毎日毎晩風呂に入ってよく窒息死しないな。それが逆に不思議なんだけど」

「あほ。風呂入るたんびに窒息死してたら、日本人はあっという間に全滅するだろう」

「いやいや、おれが考えるに、日本人の半数は毎日風呂ってない。この忙しいご時勢に毎日風呂に入るのは、おまえと美容に気を使う女たちくらいだと思うな」

「‥‥男でも毎日風呂に入るやつは大勢いるはずだぞ」

むっつりと反論すると、にっと笑みを浮かべて缶ビールを差し出してくる。

「長風呂なのに短気だなぁ」

ひんやりとした缶ビールを受け取って、

「カラスめ」

とつぶやく。

「気持ちいい毒風にまん丸お月様。風流だなぁ」

「‥‥」

勢いよくビールを喉に流し込んで、半分ほどになった缶を掲げながら、相変わらず意味の分からないことを言う。

毎度のことながら、なにやらこちらも口元がほころんでくるではないか。

それをごまかす為に、慌てて月と同じ色の液体を体内に注ぎ入れた。

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2008年2月28日 (木)

かたち

何かをしている時に、目の前を通り過ぎるなにげない風景のように、それは脳裏をかすめていく。

いままでこんなことはなかったのに、どうしたんだろう。

首を捻ってみても、答えはどこにも見あたらない。

例えば料理を作っているとき、仕事中に受話器を置いたとき、仕事が一段落してほっと息をついたとき。

コーヒーを口に運んだとき、ペンに手を伸ばしたとき、時計に目をやったとき。

日常のちょっとした隙間に入り込んでくるそれは決して不快なものではなく、どちらかといえば、口元が少し緩んでしまうような光景なのだ。

ほんのりと灯る炎のように暖かく、心をほっこりさせる。

ほっこりしつつもそんな自分の感情に少しだけ戸惑っていて、ためらいがちに心にブレーキをかけたりする。

かける必要もないのかもしれないけれど、その変化はついていくのがやっとで、ハンドルをきるだけでは操縦が難しいような気がするから。

不安も少しある。

でも、心は温かい。

両方がごちゃ混ぜになって、それがわたしを形成していくんだろう。

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2007年12月15日 (土)

無題

着信があることを知らせるランプが点灯している携帯を見て、小さく笑った。

カーテンが開いている室内は、外から入ってくる照明の明かりで、思いのほか物の形がはっきりと見ることができた。

そっと荷物を置き、狭い部屋を占領するベットに腰掛ける。

スプリングが軋む音さえも、なにやら心躍る音に聞こえるから不思議だ。

コートを脱ぐよりも、うがい手洗いをするよりも、部屋を温めるよりも、まずはその存在を確認したかった。

枕元に置き忘れた携帯。

小さな光で室内を照らし続けていた携帯。

冷え切った手で携帯を持って画面を開くと、着信履歴がしっかりと残っていた。

安堵の息を吐いて、ボタンを押す。

軽快な応答音が耳をくすぐる。

その音が体に染みわたり、微かな緊張を生み出していく。

ふっ、と応答音が途切れる。

自然と満面の笑みが浮かんだ。

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2007年12月 2日 (日)

小説・冬

外から戻ってきて、出されたコーヒーを一口飲んでほっと息をつく。

喉を通っていく温かなぬくもりが心地よくて、自然と笑みが浮かぶ。

両手で包み込んだマグカップは、凍えた指先を温めようと必死で熱を放出して、少しばかりひりひりする。

「外はずいぶん寒かったみたいだね」

穏やかな声が耳に入り、視界にはその主がマグカップを抱えて正面に座った。

「雪でも降りそうなくらい、空が低い」

恨めし気に窓を睨む。

睨んだ窓は部屋の中との温度差で、白いレースがかかったようにぼんやりとしか外の様子を伝えてこない。

「空が低い。その言い方、君らしくて面白い」

くつくつと笑う声に、口がへの字に曲がる。

「なにが可笑しい」

「可笑しくないよ。面白いって言ったんだ」

「‥‥同じだろう」

むっつりとつぶやいて、カップの中を覗き込む。

茶色の液体から緩やかな湯気が立ち上がり、冷たい頬を暖める。

呆れた顔をした主は、座ったばかりの椅子から腰を上げて近づいてくる。

にっと笑って、持っていたマグカップを冷えた耳たぶに寄せてきた。

「‥‥おい」

「暖かいでしょ? だって耳が真っ赤なんだもん」

「髪の毛が入るだろう」

「別にかまわないよ。君のならね」

「‥‥」

そいういことをさらりと言うな!

心の中でそう叫ぶ。

確かに耳たぶは温かい。むき出しだっただけに、どこよりも冷えている。

しかし、マグカップの温かさ以上に‥‥。

「猫舌だから、協力してよね」

茶目っ気たっぷりに言う相手に、口元が緩くなる。

「‥‥了解」

「ご協力感謝致しま~す」

言葉と共に首に巻きついてきた腕に顔を埋め、温かな感触を確かめて瞳を閉じた。

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2007年11月18日 (日)

小説・小春日和

落ちてきそうな重い空からは、凍えるような強い風が勢いよく降り注いでくる。

色を変えて必死にしがみついていた枯れ葉たちは、あっけなく枝からもぎ取られ、波に揉まれるように町に消えていく。

一気に冷え込んだこの日は、心の中の気温まで下げてしまったようだ。

コートの前をしっかり押さえて背を丸めても、どこからか冷気が忍び込んでくる。

吐く息が寒さを助長しているようで、白い霧を恨めしい気持ちで眺める。

公園には遊ぶ子供たちの姿はなく、通りかかる人々も体を縮ませ、足早に目の前を通り過ぎていくばかりだ。賑やかにはやし立てるのは、己の強さを誇示する冬の風と、足元に群がる枯葉の群れだけ。

傾いた日差しが作る長い影が、心に冷気を送り込んでくるのだろう。木材で作られているベンチにもかかわらず、尻は冷えるばかりで全く温まる気配はない。

そろそろ立とうか。

このままここに居ても、凍りついてしまうだけだ。

暗く重い雲に遮られていた傾陽が、最後の力を振り絞り、大地を照らす。

視界が橙色に染る。

赤に近づくことができず、黄に偏ることもできない橙は、なぜか物悲しい気分にさせる不思議な色だ。

始まりを告げる朝日と違い、終わりを知らせる色。

だからこんなにも悲しいのか。

ゆっくりと雲に覆われていく傾陽に従い、町は暗く染め上げられていく。

心に灯った一瞬の光は、これほどにあっけなく消え去るのか。

息が白く流れていく。強い風に流されて。

その流れをなんとなく目で追っていたら、そこに光が射した。

暖かく、緩やかな光だ。

忍び込んだ冷気が、慌てて逃げ出していく。

自然とベンチから腰を上げたわたしは、固まった筋肉を叱咤して、その光に向かって笑みを浮かべた。

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2007年11月 6日 (火)

小説・隣の晩ごはん!

ふわりと鼻先をかすめた匂いに、意識がひかれた。

一段と日暮れが早くなり、すでに空は闇に染まっている。

耳を澄ませると、何かを炒めているような弾けた音がする。

焼肉のたれを使った野菜炒め。

脳裏に浮かんだメニューに、思わず笑みが浮かぶ。

数歩足を進めると、包丁がリズミカルな音を立てている。

キャベツのみじん切りほど早くはなく、カボチャを切るほどの力強さはない。おそらくジャガイモ、もしくはにんじんなどの比較的柔らかい野菜をざくざく切っているのだろう。

肉じゃがだろうか。

この部屋の主は毎日きちんと料理をしているので、もう少し凝ったものを作っているのかもしれない。

そんなことを考えていたら、野菜炒めの匂いを吹き飛ばすほど強い香辛料の匂いが漂ってきた。

これは‥‥またカレーか!?

1Kのアパートでこれほど強烈な香辛料を使ったカレーなどありえない!

インド人でもあるまいに、なぜこうも頻繁にカレーを作るのだ!

換気扇から流れてくる空気まで黄色く染まっている気がして、額に手を当てた。

くうっ、負けるものか。

こっちは韓国人でもないのに、超強烈なキムチチャーハンを作って隣人をぎゃふんと言わせてやる!

激しい闘志を燃やしながら、勢いよくドアを開けた。

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2007年10月 7日 (日)

小説・色

店頭に並んだ青いみかんに気付いて、しばらくそれを見つめてしまった。

そんな時季だろうか。

小さく首を傾げて、運動会シーズンなのを思い出した。

先週の日曜日には、朝の6時半に近所の小学校から花火(?)が数発打ち上げられて、目が覚めたのだった。

運動会の時はなぜか必ずこの青いみかんがビニールシートの上をいくつも転がっていたのを、懐かしく思い出す。

見た目は渋そうに見えても、食べてみると想像以上にこの時季のみかんは甘い。

子供のころからそれが不思議でならなかった。

こたつにもぐりながら食べるみかんは当たりはずれがかなり激しいのに、青いみかんはほとんどはずれることがなく、どれもこれもみずみずしかった。

そのまま横に視線を向けると、黄土色の梨が誘惑している。

その隣には茶色の栗が睨みつけている。

どちらも惹かれるが、今日は思い出に浸ろう。

1ネット105円の青いみかんを手にして、レジに向かった。

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2007年10月 1日 (月)

小説・夕立

ぽつぽつと落ちてきた雫を見つめて、思わず口元が緩くなる。

ほんの数分前から空全体が灰色の雲に覆われて、持っている傘の先でつつけばすぐに雨が降りそうな状態だった。

コンビニの店員は忙しそうに出入り口の近くにビニール傘を並べている。

むき出しの皮膚に当たる雫は、普段のものより幾分大きくて、存在感がある。

熱されたアスファルトに落ちた雫たちは、一気に熱を吸収して再び天に帰ろうと試みるのか、むっとするような温かさを地上に放ち始める。

鼻腔を広げ、肺いっぱいにそのにおいを吸い込む。

子供の頃からこのにおいが好きだった。

夕立の後には必ずこのにおいが辺り一面に立ち込めたものだ。

街路樹も嬉しそうに葉を揺らしている。日に照らされていた車たちも、体を冷やせて嬉しいのではないだろうか。

アスファルトはすでに真っ黒に染まっていた。

すでにあの独特なにおいは消えている。

肺に溜まった息を吐き出して、傘をさした。

髪からは雫がぽたぽたと落ちてくるので、少し遅かったのかもしれない。

手首を伝って肘に溜まった透明な雫は、慌てて地面に飛び込んで見えなくなってしまった。

遠くで雷の声が聞こえた。

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2007年9月30日 (日)

小説・仕返し

風呂上り、自室に戻ると暗闇の中で何かが点滅していた。

思わず電気を付けるのを躊躇した。

その光は何かを訴えるかのように、何度も定期的に発光を繰り返す。

そっと息を吐いて灯りを付けると、机の上に無造作に置かれた携帯電話が相変わらず点滅を続けている。

ベッドに腰掛けて、タオルで髪を乱暴に拭きながら携帯を見つめる。

もう一度息を吐いてから、机に手を伸ばした。

開くと「着信2件」とある。

相手を確認すると、そのまま部屋の隅に放り投げた。

それに抗議したのか、携帯が不満をぶつけるように鳴り出した。

舌打ちをして拾い上げ、枕の下に押し込む。

その上に濡れた頭を置いてつぶやいた。

「‥‥ざまぁみろ」

かすかな振動を感じながら、目を閉じた。

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2007年9月29日 (土)

小説・残暑

うだるような暑さだった。

あと少しで9月も終わろうとしているのに、日差しは夏のまま、刺すような強さで輝いている。

アパートで汗をかきながらごろごろしているよりいいだろう、そう思って外に出たのだが、目に飛び込んできたのはくっきりと青い空にデコレーションされた、そそり立つように大きい入道雲の姿だった。

こめかみを伝う汗を拭って道行く人に視線を当てると、キャミソール一枚の女性やランニング姿の若者があちこち歩いている。多くの女性は日傘をさし、真っ黒に焼けた子供たちもまだまだ健在だ。

ブーツをはいている女性を見かけたが、あの中の蒸れ状態が心配になって目を背けてしまった。

何もすることがない休みはつまらないものだが、こうも暑いと家の中で行動するのも嫌になってしまう。へたをすれば熱中症になってしまいそうだ。

とりあえずコンビニにでも行って、雑誌の立ち読みをしようか。

そしてアイスを買って帰るのだ。

火照った身体にアイスが沁みるだろう。

ふわりと風が頬を撫でていった。

思わず風を追いかけて、振り向いた。

「‥‥」

空を見ると、強烈な日差しと青い空が相変わらず目を焼いていく。

それでも。

「秋は‥‥」

風に吹かれた公園の桜の木は、色付いた葉を一枚、空に放った。

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