歴史話

2008年6月 4日 (水)

大河ドラマ「天地人」

篤姫効果のおかげか、今年は観光客が多いような気がします。

今朝は西郷隆盛の銅像前に、修学旅行で訪れている中学生が群がっていました。その正面、少し離れた場所に立っている小松起帯刀の銅像に人が集まっていたのかは定かではありませぬ(笑)

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来年の大河ドラマ「天地人」の主要キャストが発表されたようです。

主役の直江兼続 ― 妻夫木聡さん

兼続の主君上杉景勝 ― 北村一輝さん

兼続の奥さんお船 ― 常盤貴子さん

兼続の弟 ― 小泉孝太郎さん

真田幸村の妹 ― 長澤まさみさん

景勝の母仙桃院 ― 高島礼子さん

となるようです。

わたしは歴史上の人物で一番好きなのが上杉景勝なんですが‥‥北村一輝さんのイメージとはずいぶんかけ離れているような気がしますsweat01 わたしが好きなりに色々調べた上杉景勝は、驚くほど物静かで表舞台に立つことを極力避けていたような雰囲気さえ持っています。今に伝わる話としては極端に無口で笑顔を見せたことがなく、行軍中でも無駄話一つなかっというほど。北村一輝さんって、ものすごくアクの強い顔と演技の方ですし‥‥不安だ(気が早い? とらたぬ?)。

姉さん女房であるお船さんが常盤貴子さん、弟が小泉孝太郎さんというのは特に不安もありませんけど、長澤まさみさんが演じる真田幸村の妹ってなんだ!? 兼続にしだいに惹かれる忍びって‥‥「功名が辻」と設定が一緒なんじゃsweat02 原作読んでないからいまいちピンときませんが、こういう登場人物って話を盛り上げるために必要なんでしょうね。

仙桃院が高島礼子さんってのもちょっとびっくりです。徳川家光の母、お江与の方があまりにもぴったりだったのでcoldsweats01

やはりね、好きな歴史上の人物が出るだけに、あれやこれやと心配しちゃうんです。

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2008年3月23日 (日)

大河ドラマ3

篤姫。

いやはや、本当におもしろくてびっくりしてます。

前回の放送では肝付尚五郎が小松清猷(きよみち)宅を訪ねたのに、次々と邪魔が入って言いたいことが言えないところや、尚五郎と篤姫が対面して、篤姫が幾島のことを「怖いでしょ」と言った時のお互いの表情などがとてもあたたかくて、おもしろかったです。

以前ここで、上級武士は標準語、西郷さんや大久保さんなどの下級武士は薩摩弁と区別しているんだなーということを書きましたが、どうやら実際にそうだったみたいです。わたしもへーと思ったので、ちょこっと書いてみますね。

1813年に、島津家25代当主が江戸で幕臣たちと衝突して「言語の不通は藩の外聞にかかわる」と言葉を正すように求めたそうです。江戸城では方言が通用しないため平素から標準語に慣れておく必要があったことが理由ですが、30代当主の頃には磯邸(鹿児島の屋敷)では標準語が交わされていた、と記録があるくらい浸透していたらしいです。

篤姫の父・島津忠剛も8歳から19歳まで江戸で育っていて、その後江戸に詰めたこともあったらしく、篤姫が標準語をしゃべるのはあたりまえなんですよね。養育係が下級武士の出だったため多少薩摩言葉がまじっていた、という設定ですが、養女になってから急に方言を使うようになった気がしました。それはそれで楽しかったですけどねhappy01

これを知ってしまうと、数年前にフジテレビでやっていた「大奥-第一章-」で、菅野美穂さんが上手に方言を使っていたのは間違っていた、ということになりまして、ちょっとショックです。本当にお上手だったんですもの。

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2008年1月25日 (金)

おにぎり

この数日間、心が上がり下りの激しい日々を過ごしておりました。

そんな時は大好きな日本史の小話を。

2回連続なので、興味のない方は素通りしちゃってくださいませ。

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先日ニュースを見ていたら、新潟県妙高市籠町にある鮫ヶ尾城跡から戦国時代のものと思われる「焼けたおにぎり」が出土した、というのを耳にしました。

日本史にそれほど興味のない方はおそらく「焼けたおにぎり」に反応するのだと思いますが、わたしは「鮫ヶ尾城」に反応して、にやりと妄想スイッチがオンになってしまいました。あは。

この鮫ヶ尾城は、上杉謙信の跡目をめぐって起きた御館の乱で、敗れた上杉景虎が自害したお城なのです。この時、城に火をかけられているので、おそらくおにぎりはこの瞬間のものだと考えられます。

で、上杉景虎。彼は先年の大河ドラマにも登場していた北条氏康の子供です。名前は北条氏秀。武田信玄、今川義元と結んでいた三国同盟が決裂したあと、氏康は謙信と越相同盟を結びます。その際の人質として彼は謙信の元へ赴くのですが、氏秀はたいそうな美男子だったらしく、姪っ子を妻として与えただけでなく自身の名乗り名であった「景虎」を継がせ、養子にまでしております。

謙信にはもう一人養子がいまして、それが姉の子である景勝です。謙信が後継者を指名しないまま厠でぽっくり逝ってしまったので、景虎と景勝が争ってしまいます。どちらも平等にかわいがっていたのでしょうが、それがまずかったわけです。

結局、景勝が勝利を治めて景虎は自刃。ここで「おにぎり」につながるわけです。

このおにぎりは、雑穀が混ざっていない白米だけでできているとのことで、ニュースを伝えたアナウンサーは「当時としては高級品ですね」と言っていましたが、上杉家では白米のおにぎりが戦場で出ることは、それほど珍しくなかったんです。

「お立ち飯」といいまして、出陣前(特に総攻撃の前)にありったけの白米を炊き、山海の珍味を並べて、すべての将卒に痛飲大食させたそうです。死ぬ気でやれ、ということだと思うのですが、あまり食べ過ぎると逆に動くのが億劫になりそうな気がしないでも‥‥。

おそらく景虎は残り少ない白米を炊いて、最後まで戦おうとしたのだと思います。

その証のような「白米のおにぎり」が出土したことが、なぜだかとても寂しく感じてしまいます。(ああ、結局気分は下降してしまった;)

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2008年1月22日 (火)

大河ドラマ2

ちょっと自分でも驚いているのですが、NHKの大河ドラマ「篤姫」、これが意外とおもしろいのです。

脚本がいいのか出演者がいいのか、それともその二つともいいのかわかりませんが、2008年の大河ドラマが「篤姫」に決まったと知った時は、はっきり言ってまったく見る気がしませんでした。第一話の直前まで見るか決めかねていたくらい、それほど興味がなかったのです。日本史好きなのに幕末と島津家に関心がないので仕方ないんですけど、それがここまで全話しっかり見ていたりして‥‥。

そんなわたしは生粋の薩摩おごじょです。両親、両祖父母、両曽祖父母、おそらくその何代か先まで遡っても薩摩人だったりします。ばりばりの薩摩弁を駆使する‥‥なんてことはできるはずもなく、へっぽこ方言しかしゃべれないエセ薩摩おごじょが大河ドラマを見ていて秘かに楽しんでいるのが、下級藩士を演じている役者さんたちの方言です。

「篤姫」では上級藩士は標準語、下級藩士は薩摩言葉、という風に分けているみたいですね。なかなかおもしろい方法だと思います。で、下級藩士役の方がしゃべるのを聞いていると、かなりの頻度で単語単語が標準語のアクセントになっているんです。これを見つけて、にやりと笑っております(ものすごく意地悪な感じがしますね;)。

もちろん他県の方が完璧なアクセントをしゃべることなど不可能なので、最初からわかりきっていることなのですが、なぜかこれが楽しい。

あれくらいの方言とアクセントが聞き取りやすい限界なのかもしれません。十数年前にも「翔ぶが如く」という西郷さんと大久保さんの大河ドラマをやっていましたが、あの時は方言をやりすぎて字幕が出ていたのを、子供心に覚えております。

今まで見てきて、お由羅騒動のごたごた感がいまいち伝わってこなかったのが残念かな。

そうそう、NHKの大河ドラマ「篤姫」の公式サイトの宮崎あおいさん、凛とした気高さが漂ってきてとってもきれいですね。

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2007年12月20日 (木)

大河ドラマ

たいそう気の早い話になりますが、再来年のHK大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続を妻夫木聡さんが演じることになったそうです。

これを知ったわたしは「‥‥う~ん」という反応だったのですが、時間が経った今では「まあ悪くはないんでないか?」と思っています。

妻夫木聡さんの時代劇といえば真っ先に「憑き神」を思い出してしまい、周りの役者さんがあまりにも芸達者すぎて、彼の演技がいいものに思えなかった記憶があるのです。役の設定も微妙にずれていた感もしましたしね。

それはともかく「天地人」の直江兼続。あまりにも知名度が低いのではないかと案じておりまして、数年前に大河ドラマでやっていた山内一豊よりも低いような気がします;

そこで戦国時代好きなわたしがちょっくら紹介を。

直江兼続は1560年、新潟県魚沼郡生まれ。名前は樋口与六。小さな頃から頭の良い少年だったようで、上杉謙信の姉である仙桃院に見込まれて、息子景勝の近習にとりたてられます。数年後、仙桃院の夫が亡くなり(謙信による謀殺説アリ)、母子ともに謙信の元に移ったので、自然と兼続もそちらに移動。謙信は甥である景勝をずいぶんと可愛がったらしいので、その近習である兼続と接する機会も多かったのでしょう。しかも兼続は眉目秀麗で頭脳明晰。この時代なら、言わずとも結果は明白でしょう‥‥。

その後は謙信が亡くなったり、武田家が滅んだり、信長に攻められたりしましたが、景勝&兼続主従は秀吉に気に入られ、越後から会津120万石に移った際に、兼続はその1/4、30万石を拝領していたとかいないとか。

秀吉が亡くなって徳川家康が実権を握り、会津にいた上杉家にいちゃもんを付けた時は「都会の武士は茶道具を集めて喜んでいるが、我々は田舎侍だから武器を集めているだけだ。そっちがケンカふっかけるなら受けて立つぜっ!」的な気分爽快な返事を返しております。(直江状と言いまして、本来はもっと堅苦しい文章です。) これに家康がブチ切れて会津征伐→石田光成挙兵→関ヶ原と進んでいきます。

だれもが嫌っていた石田光成と兼続は仲良しだったらしいので、二人が共謀して家康を挟み撃ちにする作戦を立てていた、という説もありますが、ワタクシ的にはちょっと無理がある気がします。面白いですけどね。

関ヶ原で西軍に属していた景勝&兼続ですが、上杉家は取り潰しになることはなく、米沢30万石に減封されました。

当時の人達が兼続をどう評していたかといいますと「大男にて、百人にもすぐれたるもったいにて、学問詩歌の達者、才知武道兼ねたる兵なり、恐らく天下の御仕置きにかかり候とも、あだむまじき仁体なり」、「長高く姿容美しく、言語清朗なり」です。

要約すると兼続は、身体強健、頭脳明晰、眉目秀麗、文武両道に秀いでていた名将、知将、謀将!

がんばって美辞麗句を並べました、ってくらい良い言葉が並んでいますけど、資料にしっかり書いてあるのである程度は信憑性があるんじゃないかと思います。

さあ、諸君! かっこよい妻夫木兼続を想像して再来年の大河を楽しみに待とうではないかっ!!

‥‥来年は「篤姫」です。いちおう言っておかないとね;

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